洞泉寺

洞泉寺

宗派・・・曹洞宗*
本山・・・永平寺  道元禅師(どうげんぜんじ)開山・福井県吉田郡
     總持寺  瑩山禅師(けいざんぜんじ)開山・横浜市鶴見区
山号・・・法恩山


住職

洞泉寺十八世 横山凌雲 洞泉寺十八世 横山凌雲(よこやまりょううん)
1965年 東京都生まれ

『曹洞宗』とは

 仏教は、遥か2500年前に、お釈迦さまが菩提樹の下で坐禅をされて、お悟りを開かれたときが始まりです。その教えが、インド、中国、日本へと伝わりました。今から約800年前、道元禅師が禅の教えを中国から伝えられました。そして瑩山禅師とその弟子たちが、各地に教えを広め、 「曹洞宗」の礎を築かれたのです。
 曹洞宗は、坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することを大切にしております。
 そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていくものです。



洞泉寺の歴史

 文禄二年(1593)、伊那市高遠の桂泉院二世竹庵栄嫩(ちくあんえいどん)大和尚の開山と伝わっています。
 古くは、土地の豪族春日氏の「北の城」または「洞口の城」の麓、大宮境にあり、後に現在地に移ったと伝えられておりますが、幾度の火災などにより確たる記録は残っておりません。
 現在地には常に蕩蕩と清水の湧き出る池があったので、洞泉寺の名称が付けられたともいわれます。


本堂

 洞泉寺は過去数度の火災に遭い、その都度檀信徒一同の尽力により伽藍を復興してまいりました。 昭和七年の火災の後、昭和十年に再建された本堂も老築化し、平成十一年に建設されたのが現在の本堂です。


本堂外観



庫裡

 昭和三十一年、美篶青島にあった堀内伊太郎氏(株式会社浅田飴創立者)の住宅を譲り受けました。 青島の地から、田んぼの中を約1q引っ張って現在地に移築したものです。 玄関及び炊事場の部分は、平成四年に増改築されました。


庫裡



宝篋印塔

 天保九年(1838)名工渋谷藤兵衛が心経を唱えつつ無我の境地で作ったといわれています。 宝篋印塔とは、内部に『宝篋印陀羅尼経』という経典を収めた塔であることから、こう呼ばれます。この『宝篋印陀羅尼経』を書写し読誦するか、この陀羅尼を納めた宝篋印塔を礼拝すれば、罪障を滅し、三途の苦を免れ、寿命長遠なることを得る、といわれます。

宝篋印塔




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